「いってきま〜す♪くれぐれも戸締りには気をつけてね。
 カナデ、ヒビキはすぐにレトルト食品ばっかりになっちゃうんだから、
 ちゃんと栄養のあるご飯作ってあげてね。
 ヒビキ、貴方も部活休みなんでしょ?ゆっくり休養とってね。
 え〜と、それから……」

玄関で荷物を持ったまま、相変わらず口やかましいお袋に

「わかってるよ。」

と一言ボソッと返す俺。

「はいはい、早くしないと父さんが待ちくたびれちゃうよ。
 俺達は大丈夫だから母さん達こそゆっくりしてね。」

カナデもさらっと流してお袋の背中を押す。

「ん〜、わかったわ。あ、そうそう、ヒビキちょっと。」

とお袋が俺の襟首をひっぱって自分と同じ目線まで俺の顔を
下げさせる。
カナデは少し後ろに離れたが、小声で話すお袋にちょっと不満そうだ。

「ヒビキ、今は色々戸惑って悩んでるかもしれない。
 でも必ず道はひらけるの。
 あせらずゆっくりでいいから自分と向き合ってみなさい。」

……何で俺が悩んでるってわかるんだろう?

「これでも母ですからね〜♪甘く見ないでね♪」

と得意げに笑った。

「私、お父さんと別れた後沢山沢山悩んだの。
 恨んだり憎んだりした事もあったしね〜。
 だから最初の頃はしょっちゅうくるお父さんからの電話や手紙を
 無視したりしてたのよ。」

相変わらず口は微笑んだままだが、その瞳は少し悲しげに
揺れていた。

「でもね、何年たっても連絡を取り続けようと努力してくれる
 お父さんをみて、子供達のこともあるし、もう1回ちゃんと
 考えなきゃって思った。
 そうやってちゃんと自分と向き合ってみた時、
 自分が一番つらい時苦しい時にやっぱりお父さんと貴方達二人に
 側にいてほしいって心の底から思った。
 その事をお父さんに話した時、
 お父さんも全く同じ事を思ってくれていたってわかったの。
 その答えを見つけるまでに私達はすごく遠回りをして
 貴方達に寂しい思いをさせちゃったけど。
 でもやっぱりそうやって悩んだおかげで幸せな今に
 辿り着けたと思ってる。」

お袋の目はとても澄んでいて、
大きな壁を乗り越えた者にしかない強さをたたえていた。
これと同じ目を俺は見た事がある。
……そう、昨日俺を射抜くように見ていたカナデの目……

「お父さんと私のように、貴方の側にも必ずそういう人がいるわ。
 悩んで苦しんだにも関わらず、
 それでも貴方の側にいたいと願っている人が。」

そう言ってチラッとカナデの方を見た後、またすぐ俺に視線を戻す。
そして強い口調で言った。

「貴方が自分で見つけるのよ。
 私もお父さんも貴方達が幸せになってくれれば
 どんな答えでも構わないから。」

どんなって……
そこまで話をした時、一人だけ蚊帳の外で面白くなかったのであろうカナデが

「ちょっと!いつまでこそこそ話してるのさ!
 いい加減タクシーの運転手さんが困ってるよ!」

とムッとしながら言った。

「はいはい、ごめんなさいね〜♪今行くわよ♪
 ヒビキ、今の話忘れないでね。カナデ、後よろしく。
 それじゃ〜ね〜♪」

とヒラヒラと手を振って行ってしまった。
俺が呆然とその背中を見送っていると、

「ヒビキ、朝ご飯食べよ。」

と、カナデが軽くため息をつきながら居間に戻っていった。


食卓に向かい合って朝食を食べ始めた俺達はお互いに無言だった。
俺は昨日の事とさっきのお袋の台詞で頭がいっぱいだったし、
カナデはカナデで何か考え事をしているようだった。
なので俺は食べ終わった食器をさげた後、
まだ食べているカナデを置いて部屋に戻った。

ベットに座って雑誌をパラパラめくってはみたものの、
内容なんて全く頭に入ってこない。

お袋の話には少し驚いた。
もちろん再婚後、色んな話をしなかったわけじゃない。
離婚してから再婚にいたるまでの経緯は聞いていた。
が、具体的な思いの部分を聞いたことはなかった。
実際経過がどうあれカナデとまた一緒に暮らせるという事実だけで
俺は充分だったから。

でも、ふわふわしていていつも笑っている印象しかないお袋が、
あんなに強い目を持っていることに驚いた。
きっと強くならなければ乗り越えられないほど壁は
大きかったんだろうし、そうしてまでもやはり親父と一緒に
いたいと思ったのだろう。
確かに俺達子供は大人の都合で振り回されて悲しい思いはしたが、
ある程度大人の気持ちが理解できるようになった今、
二人を応援してやりたいと心から思った。

……が、何故お袋は突然そんな話をしたのだろう?
俺が悩んでいるという事に気がついたのは理解できないでもない。
でも話の内容からして、お袋は俺が好きな奴の事で悩んでいると
思っているんじゃないか?
いやそれは違う。現在俺に特定の彼女はいないし、
まして片思いをするような相手もいない。
俺が悩んでるのはカナデの帰りが遅いのは何故かとか、
休みの日はどこに行ってるんだろうとか。
腕を組んで歩いてた子はやっぱり彼女なんだろうかとか、
あの女の子と一緒に何をしてるんだろうとか。
そこまで考えて、はぁ〜とため息をつきながらベットに寝転んだ。

……俺が考えてるのってカナデの事ばかりだ。
別々に暮らしている間、
俺はただひたすら又カナデと一緒に暮らしたいと思っていた。
だから再婚には当然賛成したし、
昔の生活がただ戻ってくるだけだとワクワクしてもいた。
でも実際一緒に暮らし始めたら、何かが違うんだ。
最初は数年ぶりに一緒に生活するんだから
違和感があって当たり前だと思っていた。

でもそうじゃない。
離れていた6年の間にカナデは俺と全然違っていた。
顔の造りと身長は同じだったが、栗色に染めた髪、華奢な身体、
そして元々持っていた柔らかい雰囲気に更に磨きがかかり、
花が綻ぶような笑みを向けてくる。
不覚にもドキッとしてしまう事が多くなり、もやもやする気持ちを
抱えてしまった俺は、登校する時以外カナデと一緒に
過ごさなくなってしまった。
ところが、1ヶ月前女の子といるのを見た時から
自分の中のもやもやが抑え切れない位大きくなってしまった。

一昨日なんか思わずカナデの前に走り出て、女の子の手を
引き剥がし『カナデに触るな!』と叫びそうになる自分を
必死で押し止めた。
この気持ちは一体何なんだろう。このもやもやは一体……
そんな事を考えているうちに俺はいつの間にかうとうとしてしまい、
そのまま眠りについてしまった。